挑戦者のアイデア軌跡

『そのアイデア、本当に儲かるのか?』:既存事業モデルと異なる新規事業の価値を証明した軌跡

Tags: 新規事業, ビジネスモデル, 価値評価, 組織文化, 社内承認

新しい「価値」を、既存のモノサシで測られる壁

長年培ってきた成功体験と確立されたビジネスモデルを持つ大手企業において、全く異なる性質の新規事業を立ち上げる際には、多くの壁に直面します。その中でも特に、収益化モデルが既存事業と大きく異なる場合、「本当に儲かるのか?」「いつになったら利益が出るのか?」といった問いに、既存の財務指標や評価基準だけでは十分に答えられないという本質的な課題が生じます。

今回お話を伺ったのは、大手製造業の新規事業開発部門で、従来の製品販売モデルとは一線を画すサブスクリプション型サービス事業を社内で推進したB氏です。同社はハードウェア販売で確固たる地位を築いており、売上や利益の計上、コスト構造に関する社内の共通認識は、プロダクトの「製造・販売」を前提としたものでした。

B氏が企画したサービスは、ハードウェアの販売後も継続的に価値を提供し、利用期間に応じた課金を行うモデルです。これは、初期に大きな売上が立ち、その後の保守で収益を補完するという従来のモデルとは根本的に異なります。売上の認識方法、変動費と固定費のバランス、必要となる初期投資の考え方など、あらゆる面で社内の「当たり前」から外れていました。

既存のモノサシによる評価の壁

この新しいサービスアイデアを社内で推進する過程で、B氏は以下のようないくつかの具体的な困難に直面しました。

第一に、「収益性の説明」です。経理部門や事業部門からは、「売上や利益の立ち上がりが遅すぎる」「いつブレークイーブンを迎えるのか不明確」「既存製品の方がはるかに効率的」といった厳しい指摘が相次ぎました。サービス事業では、ユーザー数の増加に伴って収益が積み上がるカーブを描くのが一般的ですが、これは単体プロダクトの販売計画とは異なり、長期的な視点と異なる指標が必要です。しかし、社内の議論は既存の売上・利益目標やROICといった指標に縛られがちでした。

第二に、「投資対効果の見えにくさ」です。初期の開発コストやマーケティング費用は先行投資として発生しますが、短期的な売上・利益でこれを回収する見込みは薄いです。既存事業では比較的短期間で投資対効果を測ることが多い中で、LTV(顧客生涯価値)といった将来の価値を基準とした投資判断は、理解を得るのが困難でした。

第三に、「既存事業とのカニバリゼーション懸念」です。特にサービスの一部に無料期間や限定機能提供を盛り込んだ場合、「既存の有料製品の売上を侵食するのではないか」という懸念が、既存事業部門から強く示されました。サービスによって新たな顧客層を開拓し、全体のパイを広げるという狙いを説明しても、短期的な影響への不安が払拭されない壁がありました。

新しい「言葉」と「データ」で価値を証明する道のり

これらの困難に対し、B氏はどのように考え、乗り越えていったのでしょうか。その軌跡は、「既存のモノサシ」に対して、新しい「言葉」と「データ」で粘り強く対話し、理解を広げていくプロセスでした。

B氏が最初に行ったのは、新しいビジネスモデルの「仕組み」と「価値創出プロセス」を、社内の誰もが理解できるように徹底的に言語化することでした。単に「サブスクです」と説明するのではなく、 * このサービスによって顧客はどのような課題を解決できるのか? * その結果、顧客の行動はどのように変わるのか? * 顧客からの収益はどのような構造で発生し、それがどのように積み上がっていくのか? * 既存事業のコスト構造と比較して、何が異なり、なぜそのコストが必要なのか? といった点を、具体的な図や短い事例を用いて繰り返し説明しました。特に、従来の製造・販売プロセスを知る人たちに向けて、サービス開発・運用プロセスとの違いや、それぞれに必要なリソースを丁寧に解説しました。

次に、新しいビジネスモデルに合った「評価基準」の提案と、それに基づいた「データ」による検証を進めました。既存の売上・利益といった指標だけでなく、顧客獲得単価(CAC)、顧客生涯価値(LTV)、チャーンレート(解約率)、アクティブユーザー数、ユーザーエンゲージメント率といったサービス事業において重要となるKPIを定義し、それらがなぜ重要なのか、そして将来的な収益性とどう関連するのかを説明しました。

そして、机上の空論で終わらせないために、小規模なパイロットプロジェクトやMVP(実用最小限の製品)を立ち上げ、そこで得られた生きたデータを集めることに注力しました。限定ユーザーでの利用状況、初期の解約率、カスタマーサポートへの問い合わせ内容、有料プランへの転換率など、具体的な数字や定性的なフィードバックを収集・分析し、それを基に関係者へ説明を行いました。特に、LTVがCACを上回る見込みがあること、特定の顧客層ではエンゲージメントが非常に高いことなど、将来の可能性を示唆するデータを早期に捉え、提示することが重要でした。

また、カニバリゼーション懸念に対しては、想定される影響範囲を具体的に分析し、データに基づいて説明しました。例えば、「このサービスは既存製品を使わない層にリーチできる可能性が高い」「導入ユーザーは既存製品の利用頻度も増える傾向がある」といったポジティブな兆候をデータで示したり、異なる価格設定やターゲット層の定義によって棲み分けを図る戦略を提示したりしました。

成果とそこから得られた学び

これらの粘り強い活動の結果、B氏の推進する新規サービス事業は、既存事業部門や経理部門からの理解を少しずつ得ることに成功し、段階的な投資承認を獲得していきました。一度に大きな予算を確保するのではなく、パイロットの成果を示すことで次のフェーズの承認を得るというプロセスを繰り返すことで、組織の許容度を高めていったのです。

この経験から得られた最も重要な学びは、新しいビジネスモデルを組織に根付かせるためには、単にアイデアの良さを語るだけでなく、既存の「言葉」と「評価基準」に翻訳し、具体的な「データ」で裏付けながら、粘り強く対話を重ねることが不可欠であるということです。特に、収益モデルが異なる場合は、将来的な価値をどのように算出し、どのような指標で進捗を追うのかを明確に定義し、組織全体で共有する努力が求められます。

まとめ

既存の成功モデルを持つ組織において、収益構造が異なる新規事業を推進する際は、「儲かるのか?」という問いに対し、既存の尺度だけでは答えられない壁に直面します。この壁を乗り越えるためには、新しいビジネスモデルの価値創出プロセスを丁寧に言語化し、その特性に合った評価指標を定義すること、そして何よりも、小さな一歩から得られる具体的なデータに基づき、関係者との対話を継続することが重要です。成功の鍵は、不確実性の高い新規事業の価値を、組織が理解できる「言葉」と「データ」で語り続ける覚悟にあると言えるでしょう。