挑戦者のアイデア軌跡

『いつ成果が出るのか?』の声にどう向き合うか:短期志向の組織で長期ビジョンへの共感を醸成した軌跡

Tags: 長期ビジョン, 短期志向, 組織文化, 新規事業推進, 共感形成, ビジョン共有, ステークホルダーマネジメント

長期ビジョン実現を目指す中での「短期成果」の問い

新しい事業や大きな変革を組織内で推進しようとする際、しばしば直面するのが「それはいつ成果が出るのか?」「具体的な売上貢献は?」といった、短期的な成果を問う声です。特に、長期的な視点や未知の領域への挑戦を含むプロジェクトでは、明確なROIが見えにくい初期段階において、この問いが推進の大きな壁となることがあります。本記事では、とある大手企業で長期ビジョンに基づいた新規事業開発を牽引した担当者の軌跡を辿り、短期志向の組織文化の中で、いかにして長期的な目標への共感を醸成し、プロジェクトを前進させたのかを探ります。

なぜ、長期的な視点での事業が必要とされたのか

インタビューに答えてくれたのは、社内で新規事業開発部門に所属するA氏です。当時、彼が担当していたのは、既存事業の延長線上にはない、数十年先を見据えた技術シーズを活用した新領域への挑戦でした。

A氏は語ります。「当時の主力事業は安定していましたが、市場全体の構造変化や競合の台頭を考えると、10年後、20年後に今のままの形で競争優位性を保てるとは考えられませんでした。だからこそ、将来の収益の柱となる可能性のある、全く新しい領域に早期から投資し、技術と市場の両面で知見を蓄積していく必要がある、という危機感がありました。」

目指していたのは、単なる既存技術の応用ではなく、社会課題の解決に貢献するような、より大きなインパクトを持つ事業の創出でした。そのためには、基礎研究に近いレベルからの技術開発と、潜在顧客のニーズを掘り起こす長期的な視点でのアプローチが不可欠だったのです。

直面した「短期志向」という組織の壁

しかし、A氏のプロジェクトは、組織の根深い「短期志向」という壁に阻まれます。

「まず、予算獲得の段階で苦労しました。『投資対効果はいつ見込めるのか』『数年先のプロジェクトに、なぜ今のリソースを割くのか』といった問いが常にありました。既存事業の四半期目標や年間目標に強く紐づいた評価制度の中で、5年後、10年後の成果を語っても、なかなか響かない層が多かったのです」とA氏は振り返ります。

特に中間管理職からは、「このプロジェクトが成功しても、自分が評価される頃には別の部署にいるかもしれない」「自分のチームの短期的な目標達成に直接貢献しない」といった声も聞かれました。現場からは「目の前の業務で手一杯なのに、よく分からない将来の話をされても困る」といった無関心な反応もありました。

また、承認プロセスにおいても、「前例がない」「具体的な成功イメージが湧かない」といった理由で、議論が停滞しがちでした。短期的な視点で見れば「リスクが高い」「非効率」と映るため、慎重論や反対意見が出やすく、承認を得るまでに膨大な時間と労力を要しました。既存事業が好調であること自体が、「なぜ今、わざわざリスクを取る必要があるのか」という抵抗勢力に繋がる側面もあったと言います。

困難克服への道のり:対話と「翻訳」の戦略

これらの困難に対し、A氏は様々な角度からアプローチを試みました。その中心にあったのは、「対話」と「異なるレイヤーへの『翻訳』」でした。

「短期的な成果を求める声があるのは当然のことです。彼らには彼らの責任範囲があり、評価軸がある。そこを否定するのではなく、長期的なビジョンを、彼らの視点に合わせて『翻訳』して伝えることに注力しました」

具体的なアプローチは以下の通りです。

  1. 経営層へのアプローチ:市場変化とリスクの明確化

    • 抽象的な未来像だけでなく、海外事例や異業種での破壊的なイノベーションのデータを示し、「何もしないことのリスク」を具体的に訴えました。
    • 短期的な財務目標とは別に、「将来への種まき」としての先行投資の意義を、経営戦略全体の中で位置づけ、繰り返し説明しました。
    • 四半期ごとの進捗報告では、財務的な成果だけでなく、技術開発のマイルストーン達成や、顧客との対話から見えてきた将来の可能性、知見の蓄積といった「非財務的な成果」を強調しました。
  2. 中間管理職へのアプローチ:将来の機会と貢献可能性の提示

    • プロジェクトの長期的な成功が、彼らの部署やチームに将来どのような新しい事業機会や役割をもたらす可能性があるのかを、具体的に議論する場を設けました。
    • プロジェクトの一部に彼らのチームの知見が必要であることを伝え、アドバイザーやオブザーバーとして関わってもらうことで、他人事ではなく自分事として捉えてもらう機会を作りました。
    • 「この技術シーズが将来、御社の主要事業の差別化要因になる可能性がある」「この顧客課題の解決は、御社のサービス範囲拡大に繋がる」といったように、彼らの関心領域と長期ビジョンを結びつけて語りました。
  3. 現場へのアプローチ:身近なメリットと「物語」の共有

    • 彼らの日々の業務が将来どのように変わるか、新しい技術が顧客や社会にどのような良い影響を与えるのかを、専門用語を避け、具体的な「物語」として伝えました。
    • 小規模な社内勉強会やワークショップを開催し、技術に触れてもらったり、ディスカッションに参加してもらったりする機会を設けました。
    • プロジェクトメンバーだけでなく、賛同してくれる他部署のメンバーにも協力を仰ぎ、草の根的な形でビジョンを共有してもらう活動も行いました。

A氏は特に、対話の頻度と質を重視したと言います。「一度説明して終わり、ではなく、様々な場で、様々な表現で、繰り返し伝え続けることが重要でした。すぐに共感を得られなくても、疑問や懸念に丁寧に耳を傾け、対話を通して少しずつ理解を深めていく。粘り強く続けることで、無関心だった人が関心を持つようになり、反対していた人が理解を示すようになる、といった変化が見られました」

また、長期ビジョン全体の実現に向けた「短期的なマイルストーン」を設定し、それを達成するごとに社内外に積極的に発信しました。これは、プロジェクトが確かに前進していることを示し、懐疑的な見方を変えるための重要なステップだったと言います。例えば、技術的なPoCの成功、特定の顧客からの好意的なフィードバック獲得などを、小さな成功として捉え、共有しました。

成果とそこから得られた学び

こうした粘り強い対話と戦略的な情報共有の結果、プロジェクトへの理解と共感は少しずつですが着実に広がっていきました。予算やリソース配分における短期的な成果への固執は依然として存在するものの、長期ビジョンへの投資の必要性自体は組織全体で認識されるようになりました。関連部署からの協力も得やすくなり、プロジェクトは着実に前進しています。

この経験から、A氏はいくつかの重要な学びを得たと言います。

「長期ビジョンは、ただ素晴らしい未来を描くだけでは組織を動かせません。それを実現するための道のり、特に短期的なステップと長期目標がどう繋がるのかを具体的に示し、異なる立場の人々にとっての『自分事』として翻訳して伝える努力が不可欠です。」

また、「共感は、論理的な説明だけでなく、感情的な側面からも生まれる」とA氏は強調します。「なぜこの事業が必要なのか、それが社会や顧客にどのような価値をもたらすのかといった『物語』を語ること、そして推進者自身の熱意や覚悟を示すことが、人々の心を動かす上で非常に重要だと痛感しました。」

最後に、A氏は「失敗や遅延があっても、そこで終わりではない。そこから何を学び、どう次に活かすのか、というプロセス自体が長期ビジョン実現に向けた重要な一歩であることを、常に自分自身も組織にも言い聞かせることが大切です」と語り、短期的な成果だけでは測れない価値の重要性を示唆しました。

まとめ

大手企業で長期的な新規事業を推進する際、短期的な成果を求める組織文化は避けられない壁となり得ます。この壁を乗り越えるためには、単にアイデアの優位性を語るだけでなく、組織内の異なる層が持つ視点や評価軸を理解し、長期ビジョンをそれぞれの立場にとって意味のある形に「翻訳」して伝える粘り強い対話と、共感を呼ぶストーリーテリングが鍵となります。小さな成功を積み重ね、それを共有することで信頼を構築し、プロジェクトが着実に前進していることを示し続けることも重要です。短期的な目標達成と長期的なビジョン実現は対立するものではなく、互いを支え合う関係にあることを組織内で共有することが、新規事業を成功に導く重要な一歩となるでしょう。