『なぜ、やらなきゃいけない?』現場の抵抗を乗り越え、新しい働き方を組織に定着させた軌跡
新しいツール導入が招いた現場の「なぜ?」
今回お話を伺ったのは、大手製造業の企画部門で、社内の新しい働き方推進プロジェクトを率いたA氏です。A氏のミッションは、情報共有のスピードアップとリモートワークへの対応力強化を目指し、全社的なコラボレーションツールの導入と、それに伴う業務プロセスの刷新を実現することでした。しかし、この取り組みは開始早々、現場からの強い抵抗に直面することになります。
「それまで慣れ親しんだメールや対面でのやり取り中心の文化を変えることは、想像以上に難しいことでした。新しいツールやプロセスについて説明会を開いても、『なぜ今さら?』『今のやり方で問題ない』『これ以上仕事を増やさないでくれ』といった声が圧倒的でした。特に、日々の業務に追われている製造現場や、PCの操作に慣れていないベテラン社員からの反発は根強く、『なぜ、やらなきゃいけない?』という疑問が組織全体から聞こえてくるようでした。」
プロジェクトチームは導入効果を丁寧に説明し、操作マニュアルを配布するなど、一般的な導入推進策を実行しました。しかし、利用率はなかなか向上せず、一部の部門では全く使われない状況が続きました。これは、単にツールの使い方を説明するだけでは、長年培われてきた組織の慣習や現場の心理的な壁を崩すことはできないという現実を突きつけることになります。
見せかけの「協力」と潜む「不信感」
さらにA氏は、現場からの見せかけの協力にも苦慮しました。表面的には「分かりました」「使ってみます」といった返事をするものの、実際には利用が進まない、あるいは形式的に利用するだけで効果に繋がらないケースが多発したのです。
「最も厄介だったのは、明確な反対意見よりも、無関心や『静かなる抵抗』でした。導入担当者として現場に協力を求めても、『忙しいから後にしてくれ』と話を打ち切られたり、必要な情報提供を渋られたりすることも少なくありませんでした。これは、新しい取り組みに対する不信感や、変化への不安、そして過去の同様の取り組みが定着しなかったことによる諦めや冷めた見方が根底にあったのだと思います。」
組織全体に漂う「どうせ今回もすぐに廃れるだろう」という空気感は、プロジェクト推進の大きな壁となりました。特に、過去に同様のデジタルツール導入で失敗した経験を持つ部門からは、強い懐疑的な視線が向けられました。「また失敗するのでは?」という組織のトラウマが、新しい挑戦へのブレーキとなっていたのです。また、特定の部署や個人に負担が集中することへの不満も、抵抗の背景にありました。
抵抗の「理由」を理解するための対話
こうした状況を打開するため、A氏とプロジェクトチームは戦略を変更しました。一方的な「導入する側」という立場から、「現場の課題を共に解決するパートナー」へと姿勢を転換したのです。
「まず最初に行ったのは、現場の『なぜ?』という問いに対する真摯な向き合いでした。説明会のような一方的な場ではなく、少人数のワークショップ形式や、部門ごとの個別ヒアリングを重ねることで、現場が抱える具体的な不満や不安、新しいツールやプロセスに対して現実的に感じているハードルを徹底的に聞き出しました。『今のやり方が効率的だと信じている理由』『過去の失敗経験から何を学んだか』『新しいツールを使う上での懸念点は何か』といった、彼らの『抵抗する理由』を深く理解することに時間をかけました。」
この対話を通じて、現場が抱える「本当に知りたいこと」や「懸念していること」が見えてきました。例えば、「新しいツールで情報が氾濫して、必要な情報が見つけにくくなるのでは?」「セキュリティは大丈夫なのか?」「使い方が分からなかった時に誰に聞けば良いのか?」といった具体的な不安です。プロジェクトチームはこれらの声一つ一つに対し、丁寧かつ具体的な回答を用意しました。また、ツール自体のメリットを語るだけでなく、「〇〇さんの部署で今困っている△△という課題は、このツールの✕✕という機能を使えば、もしかしたら解決できるかもしれません」というように、現場の具体的な業務課題に寄り付けて説明するように工夫しました。
小さな成功体験の積み重ねと「仲間づくり」
対話を通じて得られた理解に基づき、プロジェクトチームは導入アプローチをさらに調整しました。全社一斉導入ではなく、まずは新しいツールや働き方に比較的柔軟な部署や、特定の課題解決に意欲的なチームを選定し、パイロット導入を実施しました。
「パイロット導入では、ツールの使い方だけでなく、新しい働き方そのものをどう実現するかを共に考える伴走支援に徹しました。成功事例を作るだけでなく、失敗談も共有し、共に改善策を見つけ出すプロセスを重視しました。そして、そこで生まれた小さな成功事例を、具体的な数値や現場の声(『〇〇機能のおかげで、会議資料の準備時間が△△分短縮できた』など)と共に、社内報や説明会で積極的に発信するようにしました。これが、他の部署の『もしかしたらウチでも使えるかも』という関心を引き出すきっかけとなりました。」
また、新しい働き方に前向きな現場の担当者を見つけ出し、彼らを「チェンジエージェント」として育成する取り組みも行いました。彼らにはツールの詳細な使い方や、新しい働き方の理念、さらには他の部署への働きかけ方をトレーニングしました。彼らが自分の部署で旗振り役となり、導入をサポートすることで、プロジェクトチームだけでは手が届かない部分まで支援が行き届くようになり、現場の「仲間」が増えていきました。
成果と変革の軌跡
こうした粘り強い対話と現場に寄り添った支援の結果、徐々にツール利用率は向上し、情報共有のスピードアップや、柔軟な働き方の実現といった目に見える効果が現れ始めました。もちろん、全ての部署で完璧な導入ができたわけではありませんが、少なくとも「なぜ、やらなきゃいけない?」という疑問は、「どうすればもっと活用できるか?」という前向きな問いへと変化していったのです。
A氏は、この経験からいくつかの重要な学びを得たと語ります。
「まず、組織における変革への抵抗は、単なる拒否ではなく、多くの場合、不安や懸念、あるいは変化の必要性に対する理解不足から生じているということです。その根底にある『なぜ?』を一方的に抑え込むのではなく、真摯に聞き、その理由を理解しようと努めることが、最初の重要なステップです。次に、大きな目標を掲げるだけでなく、現場の具体的な課題解決に繋がる小さな成功事例を作り、それを丁寧に共有することの重要性です。成功体験は、変化への意欲を掻き立てる最も強力な燃料となります。そして最後に、変革は一部の担当者だけが行うものではなく、現場を巻き込み、『仲間』を増やす共同作業であるということです。」
新しい働き方やツールの導入は、単なるシステム刷新ではなく、組織文化や人々の意識を変える根気のいるプロセスです。A氏の軌跡は、困難な状況下でも現場との対話を諦めず、共感を通じて組織を動かしていくことの可能性を示唆しています。
まとめ
新しいアイデアや仕組みを組織に導入する際、現場からの抵抗は避けて通れない壁となることがあります。「なぜ、やらなきゃいけない?」という疑問や無関心、あるいは過去の失敗経験に基づく不信感は、プロジェクト推進の大きな障害となり得ます。
しかし、今回ご紹介したA氏の経験は、こうした抵抗に対して一方的に押し進めるのではなく、その背景にある理由を深く理解するための対話を重ね、現場の具体的な課題解決に繋がる形で新しい取り組みの価値を示し、小さな成功体験を共に作り出すことの重要性を教えてくれます。変革は、推進する側とされる側という二項対立ではなく、組織全体で共に課題を乗り越えていくプロセスとして捉えることで、難局を打開する道が開けるのかもしれません。