新規事業システム開発を阻む「既存IT部門」の壁:スピードとレガシーのギャップをいかに乗り越えたか
新規事業開発を阻む「既存IT部門」との壁:スピードとレガシーのギャップをいかに乗り越えたか
新しい事業やサービスを生み出す際、そのアイデアを実現するためのシステム開発は不可欠です。しかし、特に大規模な組織において、新規事業が求めるスピード感と、既存のITインフラや担当部門のリソース、文化との間に大きなギャップが存在することが少なくありません。今回は、この「既存IT部門との壁」に直面しながら、粘り強くプロジェクトを推進し、新規事業ローンチを実現されたキーパーソンへのインタビューを通じて、その軌跡と学びを深掘りします。
アイデアの背景とシステム開発の必要性
今回お話を伺ったのは、社内で新たなSaaS事業立ち上げを主導されたA氏です。この事業は、既存顧客に対し、これまでのオフラインサービスにはなかった新たな価値をオンラインで提供するものでした。市場の競合も多く、先行者優位を得るためには短期間での開発・ローンチが求められていました。
「私たちの新規事業は、まさにテクノロジーがコアとなるサービスでした。顧客データの収集・分析、パーソナライズされた提案、そして継続的な改善のためには、柔軟かつ高速なシステム開発が必須でした。PoCで可能性は見えていましたが、本格的なサービスとして展開するには、既存の基幹システムとは異なる新しいITインフラと開発体制が必要だと当初から考えていました」とA氏は語ります。
直面した具体的な困難:「既存IT部門」という大きな壁
新規事業の構想が具体化し、システム開発のフェーズに入った際、最も大きな壁として立ちはだかったのが、社内のIT部門との連携でした。
「まず、既存のIT部門は、既存事業の安定稼働を維持すること、そして大規模な基幹システムの保守・開発に多くのリソースを割いていました。私たちの新規事業が求める、高速かつアジャイルな開発スタイルは、彼らの慣れているウォーターフォール型の開発プロセスや、厳格な変更管理プロセスとは相容れませんでした。また、新規事業で利用したいと考えていたクラウドサービスや開発ツールについても、社内の標準化された環境外であるため、セキュリティや運用面での懸念が強く示されました」
リソースの不足、技術スタックの違い、開発プロセスの違い、そして何よりも「既存システムの安定稼働」を最優先とする組織文化が、新規事業システムの迅速な開発を阻む要因となりました。新規事業側の要求は「早く、柔軟に、新しい技術で」でしたが、IT部門側からすると「セキュリティリスクは?」「既存システムとの連携は?」「運用負荷は?」といった現実的な問いが先行し、プロジェクトの推進スピードは遅滞しがちでした。
「最も辛かったのは、こちらの要求がIT部門の優先順位リストの下位に置かれてしまうことです。基幹システムの改修や既存事業からの改修依頼が常に優先され、新規事業開発に必要なリソースや時間はなかなか確保できませんでした。『やりたいことは分かるが、人がいない』『その技術は前例がないから難しい』といった返答が多く、社内での調整に膨大な時間を要しました」
困難克服への道のり:対話、協業、そして小さな成功
このような壁に対して、A氏らはどのように立ち向かったのでしょうか。
「最初から『IT部門が遅い』と批判するのではなく、彼らの立場や抱えている課題を理解することから始めました。彼らには彼らのミッションと制約があることを認め、対話を通じて相互理解を深める努力をしました。具体的には、私たちの新規事業がなぜ重要なのか、どのような顧客価値を生むのかを根気強く説明し、単なる開発依頼ではなく、事業成功に向けた『協業』をお願いする姿勢を徹底しました」
次に取った具体的なアクションは、開発体制の見直しでした。社内IT部門のリソースが限られていることを踏まえ、外部の専門的な開発パートナーとの連携を強化することを決定しました。しかし、ここでも社内IT部門との調整は必要です。
「外部パートナーに全てを任せるのではなく、社内IT部門と外部パートナー、そして私たち事業側が、それぞれの役割と責任を明確にした上で協業する体制を築くことにしました。例えば、セキュリティやインフラ基盤の設計レビュー、既存システムとのインターフェース部分の設計などはIT部門に協力をお願いし、新規性の高いアプリケーション開発本体は外部パートナーに依頼する、といった形です」
この体制を構築する上で鍵となったのは、プロトタイプやMVP(Minimum Viable Product)の活用でした。
「口頭やドキュメントでの説明だけでは、新規事業のイメージやシステム要件はなかなか伝わりにくいものです。そこで、必要最低限の機能に絞ったプロトタイプやMVPを早期に開発し、IT部門の担当者に見てもらいながらフィードバックを得るようにしました。実際に動くものを見せることで、具体的な議論が進みやすくなり、『これならいけそうだ』『この部分は懸念がある』といった本音のフィードバックを引き出すことができました。小さな成功体験を共有することで、徐々に協力的な関係性を築くことができたと感じています」
さらに、経営層への継続的な報告と働きかけも重要な要素でした。新規事業の進捗だけでなく、IT部門との連携状況やそこで生じている課題、そしてそれを克服するための具体的な取り組みについても透明性高く報告し、必要に応じてリソースや優先順位付けに関するサポートを得られるように努めました。
成果とそこから得られた学び
こうした粘り強い取り組みの結果、A氏らは計画通りに新規事業のシステムをローンチすることができました。社内IT部門との間には、以前よりも円滑なコミュニケーションと協力関係が生まれ、その後の機能追加や改善開発もスムーズに進むようになったと言います。
この経験から得られた最も重要な学びは何だったのでしょうか。
「一番は、『既存組織との壁は、対話と協業によって必ず乗り越えられる』という確信を得たことです。IT部門に限らず、既存事業部門や管理部門など、新規事業を進める上で様々な部署との連携は不可欠です。それぞれの立場や制約を理解し、一方的な要求ではなく、事業全体の成功という共通目標に向けて共に歩む姿勢を示すことが重要だと痛感しました」
また、具体的な手法としては、MVP開発やプロトタイピングの有効性を挙げます。
「完璧を目指すのではなく、まずは小さく形にして見せる。そしてフィードバックをもらいながら改善していくアプローチは、社内での理解と共感を醸成し、推進力を得るために非常に効果的でした。特に技術的なバックグラウンドが異なるメンバーとの間では、動くものが何よりも雄弁なコミュニケーションツールになります」
まとめ
大手企業における新規事業開発において、既存の組織構造や文化は避けて通れない壁となります。中でもITシステムは事業の根幹に関わるため、既存IT部門との連携は多くの事業開発担当者が直面する課題です。
今回ご紹介した事例は、リソース不足、技術やプロセスの違いといった具体的な困難に対し、相手の立場を理解し、対話を通じて協業体制を築き、MVPなどの手法を活用して小さな成功を積み重ねることで、その壁を乗り越えた軌跡を示しています。既存組織との連携に悩む事業開発担当者にとって、こうした具体的なアプローチや思考プロセスは、自社の状況に置き換えて考えるための貴重なヒントとなるのではないでしょうか。
重要なのは、壁を「障害」として捉えるだけでなく、既存組織のリソースや知見を「活用すべきパートナー」と見なし、共通目標に向かって粘り強く対話を続ける姿勢と言えるでしょう。