挑戦者のアイデア軌跡

『長期投資の価値』をどう示すか:短期成果を求める経営層との対話と、新規事業の意思決定プロセスを変えた軌跡

Tags: 経営層, 新規事業, 意思決定, 長期戦略, 組織文化, 対話術, 事業開発

イントロダクション:長期の種を蒔く困難

新規事業やイノベーションの推進において、事業開発担当者が直面する大きな壁の一つが、組織のトップである経営層とのコミュニケーションです。特に、四半期や半期ごとの業績目標達成に強くコミットしている組織においては、「長期投資の価値」をいかに伝え、短期的な成果を求めがちな経営層の共感を得るかが極めて重要な課題となります。

今回は、大手総合電機メーカーにおいて、既存事業の枠を超えた新しいソリューション事業の立ち上げに挑み、短期成果を重視する経営層との対話を重ねながら、事業承認と推進の糸口を見つけ、さらには社内の意思決定プロセスそのものにも変化をもたらした、〇〇氏(仮名)の軌跡を辿ります。

プロジェクトの背景と目的:未来への危機感から生まれたアイデア

〇〇氏が所属していたのは、主力製品のハードウェア販売で安定した収益を上げていた部門でした。しかし、テクノロジーの進化と市場の変化を見据え、ハードウェアに付加価値を付けるサブスクリプション型のソリューション提供が、将来的な収益の柱となり得ると考えていました。これは、売り切り型のビジネスモデルから脱却し、継続的な顧客エンゲージメントと収益モデルを構築するという、組織にとっては大きなパラダイムシフトを伴うものでした。

この新しいソリューションは、顧客のオペレーション効率を劇的に改善する可能性を秘めており、市場における競争優位性を確立するための重要な一手となると確信していました。しかし、このアイデアを実現するためには、初期段階で多額の投資が必要であり、かつその成果が明確な形で現れるまでには、最低でも3年から5年の時間が必要と見積もられました。

直面した具体的な困難:「いつ儲かるんだ?」という問い

プロジェクトの構想が具体化し、いざ経営層に提案する段階に進むと、想像以上の壁に直面しました。提案資料を提示し、市場機会や顧客価値、そして長期的な収益ポテンシャルについて説明する度に、経営層からは厳しい質問が投げかけられました。

「その投資は、来期どれだけの利益に貢献するのか?」 「なぜ既存のビジネスモデルでいけないのか?」 「成果が見えるまでに3年もかかるのか。その間、我々の業績はどうなる?」 「競合もやっていないということは、リスクが高いのではないか?」

特に、「いつ、いくら儲かるのか」という短期的なリターンへの言及が多く、長期的な視点での市場ポジション確立や、新しいビジネスモデルの潜在的な価値に対する理解を得るのに苦労しました。既存事業の成功体験を持つ経営層にとって、不確実性の高い未来への投資は、合理的な判断として受け入れられにくい側面があったのです。彼らにとっては、既存事業の効率化や改善、あるいはより確実性の高い、短期で回収が見込める投資案件の方が魅力的に映っていたようです。

さらに、提案プロセスそのものにも課題がありました。新規事業の承認には複数の役員の賛同が必要でしたが、それぞれが異なるバックグラウンド(営業、製造、研究開発など)を持っており、事業の価値判断軸が統一されていないため、議論が錯綜しがちでした。また、形式的な会議体での提案だけでは、じっくりと背景やビジョンを説明する時間が限られており、深い理解を得る前に判断を迫られる状況も頻繁に発生しました。

困難克服への道のり:対話の質を変え、プロセスに働きかける

〇〇氏は、単に「新規事業の提案内容」を改善するだけでは不十分だと悟りました。課題は、提案する側とされる側の「視点の違い」と、それを繋ぐ「対話のあり方」、そして「意思決定プロセスそのもの」にあると考え、以下のようなアプローチを取りました。

1. 経営層の「言葉」の背景にある論理を理解する

まず、経営層からの質問や懸念が、どのような経営判断のロジックに基づいているのかを徹底的に分析しました。「いつ儲かるんだ?」という問いは、単に短期利益を追求しているだけでなく、投資のリスクを最小限に抑え、株主や市場への説明責任を果たすという、彼らの重要な役割に根差していることを理解しようと努めました。その上で、彼らが安心して投資を判断できるよう、リスクを分解し、それぞれの段階での「小さな成功」や「検証可能なマイルストーン」を設定することを考えました。

2. データとストーリーの融合:共通言語を探す

提案資料においては、従来の定量的な市場データや収益予測に加え、定性的な「顧客のリアルな課題」や「事業が実現した未来の社会」を語るストーリーを強化しました。特定の顧客が現在のオペレーションでどれだけ非効率に苦しんでいるのか、我々のソリューションがそれをどう解決し、顧客にどのような喜びをもたらすのかを、具体的なエピソードとして語りました。数字だけでは伝わりにくい事業の「意味」や「インパクト」を、経営層が肌感覚で理解できるように工夫したのです。また、海外での類似事例や、他社が先行しているビジネスモデルの成功・失敗事例を調査し、単なる「アイデア」ではなく、すでに外部で検証が進んでいる「現実的な可能性」であることを示しました。

3. 形式知と暗黙知を繋ぐ個別対話の重視

正式な承認会議の場だけでなく、個別の役員との非公式な対話の機会を意図的に増やしました。 執務時間中はもちろん、社外の懇親会やエレベーターでの短い時間であっても、事業の進捗状況や、その週に発見した新しい示唆、あるいは彼らが抱える懸念点について、率直に意見交換を行いました。この個別対話を通じて、資料だけでは伝えきれない熱意や、事業にかける想いを伝え、信頼関係を構築していきました。また、それぞれの役員が持つ専門性(例えば、営業担当役員には市場浸透戦略について、技術担当役員には技術的な実現可能性について)に合わせて、対話の焦点を調整しました。

4. 意思決定プロセスの「見える化」と改善提案

複数の役員による意思決定プロセスが非効率であることに対し、単に不満を抱くだけでなく、プロセスそのものをより円滑にするための提案も行いました。例えば、事前にコアメンバーで事業計画の論点を整理する少人数会議の設置や、役員会に提出する資料のテンプレート統一、懸念事項の事前共有リスト作成などを提案し、実行に移しました。これにより、役員会での議論がより本質的な論点に集中できるようになり、意思決定のスピードと質を高めることに繋がりました。

成果とそこから得られた学び:信頼が生む推進力

これらの粘り強い対話とプロセスの改善努力の結果、〇〇氏の新規ソリューション事業は、段階的な投資承認を得ることに成功しました。最初から大規模な予算を得られたわけではありませんが、まずは特定の市場セグメントでパイロット展開を行うための予算が承認され、そこで得られた具体的な成果と顧客からのフィードバックを基に、次の段階への投資へと繋げていく道筋を確立できました。

この軌跡から得られた最も重要な学びは、「経営層を説得しよう」とするのではなく、「経営層が自社の将来を考える上での、判断材料となりうる共通認識をいかに醸成するか」という視点を持つことの重要性です。彼らが持つ短期的な視点やリスク懸念は、彼らの役割から来る当然のものであり、それを否定するのではなく、その視点を踏まえつつ、どのように長期的な価値を「翻訳」して伝えるか、が鍵となります。

また、意思決定プロセスは所与のものとして受け入れるだけでなく、主体的にその改善に働きかけることも、プロジェクト推進のスピードと確度を高める上で非常に有効であることを実感しました。形式的な場だけでなく、非公式な場での人間的な信頼関係の構築も、困難な局面を乗り越えるための大きな力となります。

まとめ:対話を通じて未来を織りなす

新規事業やイノベーションの推進は、不確実性との戦いであり、その中で経営層の理解と支援を得ることは不可欠です。短期成果を強く意識する組織環境において、長期投資の価値を伝えることは容易ではありません。しかし、経営層の視点を理解し、データとストーリーを駆使した分かりやすい対話を心がけ、さらには意思決定のプロセスそのものにも目を向け、改善提案を続けることで、組織の中に新しい未来への投資を承認する土壌を耕すことができます。この軌跡が、組織内で新しいアイデアの実現を目指す方々にとって、困難を乗り越えるための一助となれば幸いです。