挑戦者のアイデア軌跡

『新規事業の「人」の壁』:必要なスキルを持つ人材がいない組織で事業を推進した道のり

Tags: 新規事業, 人材育成, 組織改革, スキルギャップ, 事業開発

新規事業を阻む「人」という名の見えない壁

新しい事業やサービスを生み出す際、多くの挑戦者が直面するのが「人」、すなわち必要なスキルやマインドセットを持つ人材が社内にいない、あるいは不足しているという根源的な課題です。アイデアは承認されても、「では、誰がやるのか?」「この専門スキルを持つ人材は社内にいるのか?」という問いに答えることができず、プロジェクトが塩漬けになったり、既存事業の片手間で進めざるを得なくなったりするケースは少なくありません。

今回お話を伺ったのは、大手製造業の新規事業開発部門で、AIを活用したサプライチェーン最適化サービスを立ち上げた〇〇氏です。従来の社内にはAI開発や高度なデータ分析、そしてSaaSビジネス構築・グロースの経験を持つ人材がほとんどいない中、いかにしてこの「人」の壁を乗り越え、事業を形にしたのか。その困難と軌跡を深掘りします。

アイデアの背景と目的:データ活用の次なる一歩

〇〇氏のチームが着目したのは、長年培ってきた製造・物流データの膨大さと、それが十分に活用されていない現状でした。属人的な判断に頼る部分が多く、市場の急激な変化への対応や、サプライチェーン全体の最適化に限界を感じていました。そこで、AIを活用してこれらのデータを解析し、予測精度を高め、意思決定を支援するSaaS型サービスの開発を構想しました。

目的は明確でした。一つは、自社サプライチェーンの抜本的な効率化。もう一つは、この技術とノウハウを外販し、新たな収益の柱を立てることです。社内外への貢献を目指す、意欲的なプロジェクトとしてスタートしました。

直面した具体的な困難:スキルギャップと組織の硬直性

プロジェクト開始にあたり、すぐに顕在化したのが「人」の問題でした。 構想を実現するには、最先端のAI技術に関する深い知識、大量データを扱うためのエンジニアリングスキル、そしてこれらをビジネスとしてサービス化・運用していくためのプロダクトマネジメントやマーケティングスキルが必要不可欠です。しかし、社内にはこれらの専門スキルを持つ人材が極めて限られていました。多くのエンジニアは既存の基幹システム開発やハードウェア制御の経験は豊富でしたが、モダンなソフトウェア開発やAI・クラウド技術には馴染みがありませんでした。

これらの困難が重なり、「アイデアは良いが、進める人がいない」という、新規事業開発において最も避けたい状況に陥りかけていました。

困難克服への道のり:「ない」を前提にした複合戦略

〇〇氏は、「必要な人材が『すぐに、社内に、理想的な形で』揃うことはない」という現実を冷静に受け止め、複数のアプローチを組み合わせる戦略を立てました。その道のりは、決して平坦ではありませんでした。

  1. 隠れた社内タレントの発掘とネットワーク構築:

    • まず行ったのは、社内全体への地道な働きかけでした。既存の人事データベースだけでなく、技術コミュニティや社内SNSなどを活用し、「個人的にAIやデータ分析を学んでいる」「以前、関連プロジェクトに関わったことがある」といった隠れたタレントを探し出しました。
    • これらの人材に対して、新規事業のビジョンや面白さを個別に伝え、プロジェクトへの参画(まずは兼務やアドバイザリーとして)を打診しました。公式ラインでは難しいアサインも、非公式な形での関係構築から始めることで、協力者や情報提供者を増やしていきました。彼らが持つ既存事業部門とのコネクションが、後に部門間調整で役立つこともありました。
  2. 外部リソースの戦略的活用とコントロール:

    • 必要な専門スキルを持つ人材を「自社で全て抱え込む必要はない」と割り切り、外部リソースの活用を積極的に検討しました。ただし、単なる丸投げではなく、プロジェクトの中核となる知見やノウハウは社内に蓄積することを重視しました。
    • 具体的には、AIモデルのプロトタイプ開発や特定のデータ処理など、スコープを限定したタスクは外部の専門ベンダーに委託しました。一方、サービス全体のアーキテクチャ設計やプロダクトの方向性決定は、社内の核となる数名と〇〇氏自身が主導しました。
    • また、フリーランスの専門家や副業人材の活用にも挑戦しました。これには法務や人事部門との調整が不可欠でしたが、業務委託契約の雛形整備や、情報セキュリティに関するガイドライン策定に根気強く取り組み、実績を積み上げることで活用の幅を広げました。特に、特定の技術分野に詳しいフリーランスの方には、社内メンバーへのメンターや技術アドバイザーをお願いし、リスキリングの実効性を高める工夫をしました。
  3. 「プロジェクト道場」としてのリスキリング:

    • 既存の形式的な研修制度には依存せず、新規事業プロジェクトそのものを「生きた学びの場」と位置付けました。既存事業からアサインされたメンバーには、座学よりも実際に手を動かすタスクを割り当て、外部専門家や社内の協力者のサポートを受けながらスキルを習得してもらいました。
    • 週次の勉強会やコードレビュー会を設け、知識や技術を共有する文化を醸成しました。これにより、メンバーは単にタスクをこなすだけでなく、新しいスキルを体系的に学び、自身の成長を実感できるようになりました。この「プロジェクト道場」で育ったメンバーが、後にプロジェクトの中核を担う存在となっていきました。
  4. 人事・経営層への粘り強い啓蒙とデータ提示:

    • 人材不足がプロジェクト遅延やコスト増大に直結することを、具体的なデータ(市場平均の人件費、外部委託コスト、競合企業の採用動向など)を示しながら経営層や人事部門に繰り返し説明しました。
    • 新規事業の成功が、企業文化の変革や将来的な人材獲得競争力強化につながることを、長期的な視点で訴えました。特に、プロジェクト内でリスキリングに成功したメンバーの事例を示すことで、「社内でも育成は可能であること」「投資対効果が見込めること」を説得力を持って伝えました。結果として、新規事業に関わる人材の評価制度見直しや、専門職採用枠の設置といった組織的な変化を引き出すことに繋がりました。

成果とそこから得られた学び:組織が人を育て、人が事業を育てる

これらの複合的なアプローチと粘り強い活動の結果、プロジェクトは必要なスキルを持つ多様な人材(社内からのリスキリング組、外部パートナー、新規採用者)からなるチームを徐々に構築することができました。もちろん、スキルレベルやバックグラウンドの違いからくるコミュニケーションの難しさなど、新たな課題も生まれましたが、それも一つずつ解決しながらプロジェクトを推進。結果として、計画していたサプライチェーン最適化サービスのプロトタイプ開発に成功し、現在は一部顧客へのトライアル導入が進んでいます。

〇〇氏がこの経験から得た最も重要な学びは、「新規事業における『人』の壁は、単に採用や育成の問題ではなく、組織文化や制度、そしてリーダーシップの問題である」ということでした。

まとめ:組織の壁は、人が人として向き合うことで乗り越えられる

新規事業開発における「人」の壁は、多くの大手企業が直面する普遍的な課題です。必要なスキルを持つ人材がすぐに手に入らない状況は、プロジェクトを停滞させ、挑戦者の士気を挫きかねません。

しかし、〇〇氏の軌跡は示唆しています。それは、この「いない」という壁は、単なるリソースの問題ではなく、組織構造、文化、そしてそれを動かす「人」と「人」との関わりによって乗り越えられるということです。地道なタレント発掘、外部リソースの戦略的活用、実践的な育成、そして何よりも、関係者との粘り強い対話と啓蒙が、見えない壁を崩し、事業を前進させる力となるのです。

挑戦者のアイデア軌跡は、常に「人」の営みです。「人」に関する壁を乗り越えるプロセスそのものが、組織を強くし、次の挑戦を可能にする基盤を築くのかもしれません。