『それ、誰に言えばいいの?』の壁を破る:アイデアが組織で実現する仕組みを創り上げた軌跡
アイデアの「種」が埋もれる組織を変革する
大手企業において、優れたアイデアや新しい視点が現場から生まれても、それが適切に評価され、実現へと繋がらない──多くの事業開発担当者が直面するこの課題に対し、正面から向き合い、組織の仕組みと文化を変革された方がいらっしゃいます。今回は、〇〇株式会社新規事業推進室 室長、△△氏に、良いアイデアが「それ、誰に言えばいいの?」という壁にぶつかり、埋もれてしまう現状をどのように打破し、アイデア実現のための「道筋」を組織内に創り上げたのか、その挑戦の軌跡をお伺いしました。
既存制度の機能不全とアイデア埋没という課題
△△氏がこの課題を強く意識し始めたのは、数年前に社内で新規事業提案制度が導入されたにも関わらず、目立った成果が出ていなかった現状を目の当たりにした時でした。制度自体は存在しましたが、以下のような問題を抱えていたといいます。
「確かに提案制度はありました。しかし、正直なところ、形骸化していると感じていました。社員から『こんなアイデアがあるんだけど、誰に相談すればいいのか分からない』『以前提案したけれど、その後どうなったか音沙汰がない』といった声が上がるたびに、良いアイデアの種が組織の中で消えていっている、と危機感を募らせていました。」
具体的な課題は多岐にわたったと振り返ります。まず、「誰が評価するのか不明確」であること。提出先は決まっていても、その後の評価プロセスや担当者が誰なのかが見えませんでした。次に、「既存事業との関連性が薄いアイデアは担当部署が見つからない」という問題。既存の組織構造に当てはまらないアイデアは、どの部署も「うちの仕事ではない」となり、宙に浮いてしまうのです。さらに、「日々の業務に追われ、新しいアイデアを検討・推進するリソースがない」こと。既存事業で成果を出すことが最優先される中で、不確実性の高い新規アイデアに時間を割く余裕がないのが現実でした。そして、最も根深い課題として、「どうせ提案しても無駄だ」「やっても評価されない」という、過去の経験からくる社員の諦めムードが蔓延していたことでした。
課題の可視化から始まった変革への道のり
このような状況に対し、△△氏はまず現状の課題を組織内で共有することから始めました。
「最初は、単に『新規事業が生まれていない』という抽象的な問題意識でした。しかし、具体的に何が阻害要因なのかを明らかにするため、社内アンケートや有志へのヒアリングを徹底的に行いました。『提案してもフィードバックがない』『誰に聞けばいいか分からない』といった生の声、そして過去の提案がどうなったかというデータを集めることで、『アイデアが生まれても組織の壁で埋もれてしまう』という構造的な問題を、データとして可視化することができました。このデータを経営層や各部門のキーパーソンに示すことで、『これは放置できない課題だ』という共通認識を持つ第一歩になったと感じています。」
課題が明確になった後、△△氏はアイデアを「埋没させない」ための新しい仕組みづくりに着手します。いきなり大掛かりな制度変更を目指すのではなく、まずは有志を募り、目的を共有する小さなチームを結成しました。
「いきなり全社的な制度を変えようとしても、抵抗に遭うことは目に見えていました。まずは『良いアイデアを見つけ、育てる』という同じ志を持つ仲間を集め、小さく試せることから始めようと考えました。最初の取り組みは、社内SNSの非公式グループで『アイデアの壁打ち部屋』を作るという、非常に簡易的なものでした。ここで、皆が持つアイデアを気軽に投稿し、コメントし合う。誰かに評価されるわけではないけれど、他の人の視点が入ることでアイデアが磨かれ、何より『一人ではない』と感じられる場になりました。これは、後々の仕組みづくりの上で、非常に重要な心理的安全性の醸成に繋がったと思います。」
関係部門との対話と仕組みの設計
非公式な活動から手応えを得た△△氏は、次のステップとして、より公式な仕組みへと発展させるための活動を始めます。ここでも大きな壁となったのは、関係部門との調整と、既存の評価軸では測れない新しい取り組みへの理解を得ることでした。
「経営企画部には、長期的な視点での企業価値向上という点で、人事部には、社員の自律性向上や新しい能力開発という点で、それぞれの部署がこの取り組みにどう関わる意義があるのかを丁寧に説明して回りました。最も苦労したのは、既存事業を推進する各事業部への説明です。『新しいアイデアを検討するなんて、今の忙しい中でリソースを割けない』『成果が出るか分からないことに投資できない』といった声は根強くありました。」
この抵抗に対し、△△氏は以下の3点を粘り強く伝え続けたといいます。
- これは未来への投資であること: 目先の成果だけでなく、5年、10年先の事業の柱や、変化に対応できる組織文化を作るための重要な取り組みであること。
- 既存事業へのメリット: 新しいアイデアは、既存事業の周辺領域や業務改善にも繋がる可能性があること。また、アイデア創出のプロセス自体が、社員のエンゲージメント向上や部門間のコミュニケーション活性化に繋がること。
- スモールスタートの提案: いきなり大きなリソースを要求するのではなく、まずはプロトタイピングのための少額予算や、兼務という形での関わりなど、負荷を最小限にする方法を提案し、理解と協力を仰ぎました。
このような地道な対話と交渉の結果、段階的にアイデア提案から評価、育成、そして実現に向けたPoC(概念実証)までを支援する新しい社内プログラムの骨子を固めることができました。特に重要だったのは、「誰が、いつ、どのように評価するのか」を明確にしたことです。事業性だけでなく、新規性、社会性、そして何よりも「そこから組織が何を学べるか」といった多角的な評価基準を設け、評価者には各部門から選出された多様なバックグラウンドを持つメンバーをアサインしました。
小さな成功の積み重ねと文化醸成
仕組みができても、それが組織に根付くかどうかは別の問題です。△△氏は、仕組みの運用と並行して、文化醸成のための活動にも力を入れました。
「新しいプログラムを開始しても、当初は様子見の社員が多かったですね。そこで意識したのは、『小さな成功事例を可視化し、共有する』ことです。プログラムを通じて生まれたアイデアで、たとえ規模は小さくても実際にPoCに進んだもの、既存事業の改善に繋がったものなどを積極的に社内報やイントラネットで発信しました。『あの人のアイデアが形になった!』という具体的な事例を示すことで、社員の『自分もやってみようか』という意欲を引き出すことができたと感じています。また、残念ながら実現に至らなかったアイデアについても、なぜ難しかったのか、そこからどんな学びが得られたのかを丁寧にフィードバックし、失敗を次に活かす文化を醸成しようと努めました。」
さらに、アイデアを出すだけでなく、それを磨き、実現可能性を高めるための「アイデアメンター制度」を導入。経験豊富な社員や外部の専門家がメンターとしてアイデア提案者をサポートする仕組みは、提案の質を高めるだけでなく、社内での非公式なコミュニケーションや知識共有を促進する副次的効果も生みました。
アイデアを活かす組織へと変化する
△△氏たちの粘り強い活動の結果、組織には少しずつ変化の兆しが見えてきました。
「プログラム開始後、提案件数は目に見えて増加しました。それ以上に嬉しかったのは、『アイデアが埋もれている』という声が減り、『まずは〇〇のプログラムに相談してみよう』という意識が芽生えてきたことです。また、プログラムを通じて他部署の社員と連携する機会が増え、組織全体のコミュニケーションが活性化しました。もちろん、すべてのアイデアが新規事業に繋がるわけではありませんが、アイデアを出すこと、議論すること、検証すること自体が、社員の成長や組織の学習能力向上に繋がっていると実感しています。」
この挑戦から得られた最も重要な学びとして、△△氏は「組織文化は仕組みとセットでしか変わらない」という点を挙げます。
「『挑戦しよう』と呼びかけるだけでは、組織は変わりません。挑戦したいと思った人が、具体的に『何をすればいいのか』『誰に相談すればいいのか』『どうすれば先に進めるのか』が明確になっている仕組みが必要です。そして、その仕組みが機能するためには、経営層の理解とコミットメント、関係部門との粘り強い対話、そして社員一人ひとりが『自分たちの組織をより良くできる』と信じられるような文化醸成が不可欠です。全てが揃って初めて、アイデアが埋もれず、組織の力として活かされるようになると実感しました。」
埋もれたアイデアに光を当てるために
今回の△△氏のお話は、大手企業において、組織という複雑な環境の中でいかにしてイノベーションの芽を育てるか、その具体的なプロセスと困難克服のヒントに満ちていました。良いアイデアは個人の頭の中で生まれるかもしれませんが、それが社会や組織に価値をもたらすためには、それを拾い上げ、磨き、実現へと導くための「仕組み」と、挑戦を後押しする「文化」が不可欠です。「それ、誰に言えばいいの?」という社員の問いに答えられる組織であること。その地道な取り組みこそが、未来の事業を創る第一歩となるのではないでしょうか。