挑戦者のアイデア軌跡

『既存事業優先』の壁:新規事業が予算獲得で直面した構造と、それを突破した軌跡

Tags: 新規事業, 予算獲得, 組織の壁, 事業開発, 資金調達

新規事業の宿命か?既存事業優先の予算配分という壁

多くの大手企業において、新規事業の立ち上げは容易な道のりではありません。アイデアの創出、チームビルディング、PoCの実施など、様々なステップで壁に直面しますが、その中でも特に根深く、多くの新規事業担当者が頭を悩ませるのが、「予算獲得」という問題です。既存事業が安定した収益を上げている組織では、新規事業への投資は往々にして後回しにされがちです。今回は、そうした『既存事業優先』の予算配分という構造的な壁に挑み、新規事業に必要な投資を実現させたある担当者の軌跡をたどります。

なぜ新規事業の予算は「後回し」にされるのか

インタビューに応じたA氏(仮名)は、社内で新しいSaaS事業を立ち上げようとしていました。この事業は、既存のハードウェア販売に加え、顧客との継続的な関係構築を目指すもので、同社の将来にとって重要な戦略と位置づけられていました。しかし、本格的な開発・マーケティング予算を申請する段階で、A氏は大きな壁に直面します。

最大の困難は、既存事業との予算比較でした。既存事業は、過去の実績に基づいて投資対効果が明確に見積もられ、比較的確実性の高いリターンが見込めます。一方、新規事業は市場も不確実性が高く、将来的な収益見込みは予測の域を出ません。社内の予算編成プロセスでは、確実性の高い既存事業への投資が優先され、新規事業の予算は「リスクが高い」「投資対効果が見えない」「いつ収益化するのか不明」といった理由で、削られるか、承認が大幅に遅れる傾向にあったのです。

特に、既存事業部門からの声も壁となりました。「なぜ、安定した収益を生む我々の事業より、不確実な新しい事業にリソースを割く必要があるのか」「その予算は、既存事業の強化に使った方が効率的ではないか」といった意見は、予算決定権を持つ役員や他部門の部長に影響を与えました。新規事業の必要性は経営戦略として謳われてはいるものの、具体的な予算配分の場では、既存事業の論理が強く働く構造がありました。

構造的な壁を「理解」し、「対話」で突破する

A氏はこの状況に対し、感情的に反発するのではなく、まず組織の予算配分が既存事業を優先する「構造」と、その背景にある「論理」を深く理解することから始めました。既存事業が持つ確実性や評価基準の明確さ、そしてそれによって成り立っている社内の安定性を認識し、その上で新規事業の価値をどのように説明すれば、既存事業の論理とは異なる軸で評価してもらえるかを戦略的に考えました。

具体的なアクションとして、A氏は以下の点を重視しました。

  1. 既存事業の評価軸を理解し、新規事業を相対化しない説明: 予算申請の場で、既存事業の成功事例や評価指標と比較されることを避けました。代わりに、新規事業がターゲットとする市場の将来性、顧客の潜在ニーズ、そして既存事業では獲得できない新しい収益モデルや企業価値(例: データ資産の蓄積、ブランドイメージ向上)に焦点を当てて説明しました。投資対効果が見えにくい点については、短期的な財務リターンではなく、中長期的な企業価値向上への貢献を強調しました。
  2. 段階的な投資計画と成功事例の積み重ね: 全体の大きな予算を一括で獲得しようとするのではなく、まずは最小限の予算でPoCを実施し、顧客の反応や技術的な実現可能性を示すことから始めました。小さな成功を積み重ねることで、不確実性を少しずつ減らし、「リスクが高い」という懸念を払拭していきました。
  3. 財務部門や経営層との個別対話: 予算編成会議だけでなく、事前に財務部門や予算決定権を持つ役員と個別に対話する機会を設けました。新規事業のビジョン、ビジネスモデル、リスクヘッジ策などを丁寧に説明し、彼らが抱える疑問や懸念に一つずつ向き合いました。特に財務部門に対しては、将来的な収益構造や、投資回収モデルについて、既存事業の枠組みにとらわれない新たな評価軸を提案する形で議論を深めました。
  4. 第三者の視点と客観的なデータ活用: 市場調査データ、競合他社の動向、外部の専門家による評価などを積極的に活用し、新規事業の将来性や必要性に関する客観的な根拠を提示しました。これにより、「社内の感覚」に依存しがちな既存事業優先の議論から、より広い視野での判断を促しました。

これらの取り組みを通じて、A氏はすぐに大規模な予算を獲得できたわけではありませんが、段階的に必要な投資を引き出すことに成功しました。特に、財務部門との対話を通じて、新規事業に対する組織内の評価基準そのものに問いを投げかけ、長期的な視点での投資の必要性を根気強く説得したことが大きかったと言います。

成果とそこから得られた学び

A氏の新規SaaS事業は、当初計画よりも時間はかかりましたが、必要な予算を確保し、着実に開発が進められました。この経験から、A氏は以下の重要な学びを得たと語ります。

最も重要なのは、「組織の構造や論理を理解した上で、そこにどう適応し、あるいはどう働きかけて変えていくかを戦略的に考えること」でした。単純に「新規事業は重要だ」と訴えるだけでは、既存事業の論理には太刀打ちできません。既存の評価基準や予算配分の仕組みがなぜ存在し、どのように機能しているのかを理解し、その上で新規事業の価値を異なるフレームで説明し、対話を通じて組織の意識を変えていくプロセスが不可欠であると痛感したそうです。

また、予算獲得は一度きりのイベントではなく、継続的な活動であること。小さな成功を積み重ね、信頼を構築していくことが、次なる投資を引き出すための重要なステップであることを学びました。そして、財務部門を含む様々な関係者との個別具体的な対話が、形式的な会議だけでは乗り越えられない壁を破る鍵となることを実感しました。

まとめ

新規事業の予算獲得は、多くの大手企業において既存事業優先の構造的な壁に阻まれやすい課題です。しかし、その壁の背景にある組織の論理を理解し、短期的な財務指標だけではない新規事業の価値を、データと対話を通じて根気強く伝えていくことで、突破口は見出せます。今回ご紹介したA氏の軌跡は、困難な状況でも諦めず、組織の仕組みと向き合いながら粘り強く説得を重ねることの重要性を示唆しています。新規事業推進に携わる皆様が、自社の予算獲得の壁を乗り越えるための一助となれば幸いです。