挑戦者のアイデア軌跡

「言葉は通じるが、意味が違う」:多様な専門性を持つチームで生まれた壁と、共通目標への軌跡

Tags: 多様性, クロスファンクショナル, コミュニケーション, チームワーク, プロジェクト推進

多様な専門性が生む「言葉の壁」:共通目標への道のり

大手企業で新規事業やイノベーションプロジェクトを進める際、様々な部署から多様な専門性を持つメンバーが集められることは少なくありません。技術、ビジネス、デザイン、法務、現場オペレーションなど、それぞれの領域で深く培われた知見は、新しいアイデアの源泉となります。しかし、その多様性こそが、時にプロジェクト推進における予期せぬ、そして強固な壁となり得ます。それは単なる意見の対立ではなく、「言葉は通じるが、意味するところが全く違う」という根深い認識のずれから生じる停滞や衝突です。

今回お話を伺ったのは、A社でAIを活用した新規サービスの開発プロジェクトを推進したB氏です。B氏のチームは、AI技術の専門家、既存事業の営業担当者、サービスデザイン担当者、そして法務部門という、まさに多様なバックグラウンドを持つメンバーで構成されていました。プロジェクトの目的は、顧客体験を劇的に向上させる、これまでにないパーソナライズされたサービスを提供することでした。

理想と現実のギャップ:それぞれの「当たり前」が壁になる

プロジェクト開始当初、チームは高い目標意識を共有し、活気に満ちていました。しかし、議論が進むにつれて、それぞれの専門領域における「当たり前」や「優先順位」の違いが顕在化し始めました。

技術チームは、最新かつ最も洗練されたAIモデルの導入を主張し、「データ量は多いほど良い」「モデルの精度最大化が最優先」と考えました。一方、営業チームは、「とにかく早く市場に出したい」「既存顧客への説明のしやすさが重要」「複雑なモデルは現場が扱えない」と訴えました。サービスデザインチームは、「ユーザーが直感的に使えるか」「感動体験を提供できるか」を最重視し、そのためには既存のデータ形式やシステム制約にとらわれない自由な発想が必要だと考えました。さらに法務部門からは、データプライバシーや利用規約に関する厳格な要件が提示され、技術チームやビジネスチームの計画に待ったがかかる場面も多くありました。

これらの違いは、単なる意見の相違というよりも、それぞれの専門領域で使われる「言葉の意味」や「評価基準」が根本的に異なることに起因していました。例えば、「成功」という言葉一つをとっても、技術チームにとっては「モデルの精度向上」、営業チームにとっては「早期の売上達成」、デザインチームにとっては「ユーザーの高い満足度」と、それぞれ異なる意味合いを持っていました。議論は噛み合わず、次第にチーム内にフラストレーションが蓄積されていきました。

共通言語と信頼の構築:壁を乗り越えるための試み

B氏はこの状況に対し、まずチーム全体で「共通の敵」を認識することに焦点を当てました。外部環境の変化、競合の動向、そして何よりも「顧客が抱える真の課題」について、時間をかけて議論する場を設けました。これにより、個々の専門性の先にある、プロジェクトが最終的に解決すべき課題への意識を高めました。

次に、B氏が試みたのは、専門用語の「翻訳」と「共通理解の醸成」です。技術チームには、AIの技術的な詳細だけでなく、それがユーザー体験やビジネス成果にどう繋がるのかを、他のメンバーに分かりやすく説明する時間を設けさせました。同様に、営業チームには顧客の声や市場トレンドを、デザインチームにはユーザーリサーチの結果を、法務チームには規制の背景や意図を、それぞれが「なぜそれが重要なのか」を含めて共有させました。

このプロセスで特に効果的だったのは、抽象的な議論だけでなく、具体的な「プロトタイプ」や「カスタマージャーニーマップ」といったビジュアルツールを積極的に活用したことです。目に見える形にすることで、技術的な制約、ビジネス上の要件、ユーザーのニーズ、法務のリスクなどが、それぞれのメンバーにとってより具体的な「共通の課題」として認識されるようになりました。

また、B氏は形式的な会議の場だけでなく、ランチタイムや休憩時間などを活用し、メンバー間の非公式な対話を促しました。それぞれの専門領域に対するリスペクトと、個人としての信頼関係が深まるにつれて、互いの意見や提案の背景にある意図を理解しようとする姿勢が生まれ、建設的な議論ができるようになっていきました。

学びと示唆:多様性を力に変えるために

このプロジェクトを通じて、B氏が最も重要だと感じた学びは、「多様な専門性を持つチームを率いる上で、最も重要なスキルの一つは『高度なファシリテーション能力』である」ということでした。それは単に会議を円滑に進めることではなく、異なるバックグラウンドを持つ人々が持つ「前提」「価値観」「言葉の定義」の違いを敏感に察知し、それらを丁寧に解きほぐしながら、共通の土台を作り直していく能力です。

また、完全に全員が納得する「最適解」を追い求めるのではなく、「プロジェクトを前に進めるための最善解」を、共通認識のもとで意思決定していく勇気も必要でした。そのためには、意思決定プロセスを明確にし、誰が、いつ、何を判断するのかをチーム全体で共有しておくことが重要でした。

最終的に、このプロジェクトは当初の想定からはいくつかの点で変更が加えられましたが、異なる専門性が衝突から融和へと向かった結果、当初のアイデアを遥かに超えるユニークで価値のあるサービスが生まれました。それは、どの専門性単独でも成し遂げられなかった成果です。

組織という多様な人材の集合体の中で新しい挑戦をする際、異なる部署や専門性から来る「言葉の壁」や「認識の違い」は避けて通れない課題です。しかし、それを乗り越えるための対話、共通理解の努力、そして信頼関係の構築は、多様性を単なる摩擦の源泉ではなく、ブレークスルーを生み出すための強力なエンジンへと変える鍵となります。この軌跡が、読者の皆様がそれぞれの現場で直面する組織内の「言葉の壁」を乗り越えるための一助となれば幸いです。