顧客の『期待と違う』の声にどう向き合うか:市場導入時の壁とサービスの軌道修正の軌跡
はじめに
新規事業や新しいサービスを市場に投入する際、事前の綿密なリサーチや計画に基づいているとしても、必ずしも想定通りの反応が得られるとは限りません。特に、既存のプロダクトやサービスに対する顧客の期待値が高い大手企業においては、新しい試みが「期待と違う」と受け止められるケースも少なくありません。
今回は、とある大手企業で新規SaaSプロダクト開発チームを率い、市場投入後に直面した顧客からの厳しい声や予期せぬ反応に対し、どのようにチームと組織を動かし、サービスの軌道修正を図ることで市場への浸透を成功させたのか、その推進者の軌跡を追います。
アイデア/プロジェクトの背景と目的
このプロジェクトは、長年オンプレミス型のソリューションを提供してきた同社が、クラウドシフトの波に対応し、より柔軟でスケーラブルなサービスを顧客に提供することを目的にスタートしました。既存顧客の多くが抱えるデータ活用の課題に対し、専門知識がなくても直感的に操作できるデータ分析・可視化SaaSとして企画されました。
初期の顧客ヒアリングでは好感触を得ており、「まさに求めていたツールだ」「操作が簡単そうで良い」といった声が多く聞かれました。チームは満を持して、まずは一部の既存顧客を対象に限定的な市場投入(ベータ版リリースに近い形)に踏み切りました。
直面した具体的な困難と課題
サービスを市場に投入して間もなく、チームは想定外の困難に直面しました。それは、初期ユーザーからの「期待と違う」という声でした。
具体的には、以下のようなフィードバックが多く寄せられました。
- 操作感のギャップ: 事前ヒアリングでは「簡単そう」という声がありましたが、実際に既存のオンプレミス製品のヘビーユーザーからは、「これまでの操作手順と全く違う」「慣れるまで時間がかかる」「かえって複雑になった部分がある」といった、操作性に対する否定的な意見が目立ちました。彼らは既存製品の操作に慣れており、SaaSにもある程度の継続性を無意識に期待していたのです。
- 機能の不足・過多: 特定の高度な分析機能を求める声がある一方で、シンプルさを求めるユーザーからは「機能が多すぎて分かりにくい」という声も聞かれました。当初想定していたユースケースと、実際のユーザーが試みるユースケースに乖離があったのです。
- パフォーマンスへの不満: ベータ版ゆえの最適化不足もありましたが、既存のオンプレミス環境に慣れたユーザーからは、データ処理速度やレスポンスタイムに対する厳しい評価が出ました。
- 既存事業部からの圧力: 既存製品を扱う営業部門からは、「顧客からクレームがきている」「SaaSの評判が既存製品に悪影響を与えている」「なぜあんなものを出したんだ」といった声が上がり始めました。社内でも「やはり時期尚早だった」「SaaSへの移行は難しい」といった否定的な雰囲気が漂い始めました。
これらのフィードバックは、チームの士気を著しく低下させ、プロジェクトの中止すら検討される事態に陥りました。
困難克服への道のり
プロジェクト推進者は、この状況を単なる「失敗」として終わらせるわけにはいかないと強く感じていました。寄せられた「期待と違う」という声の中に、サービスを本当に顧客に価値あるものへと変えるための重要なヒントが隠されていると信じていたのです。
- フィードバックの徹底的な収集と分析: まず行ったのは、感情論を排除し、寄せられたフィードバックを徹底的に収集・分類・分析することでした。単なる不満としてではなく、「なぜその操作が難しく感じられたのか」「具体的にどのような機能が不足していると感じたのか」など、可能な限り深掘りするユーザーインタビューを追加実施しました。これは、営業部門と協力し、関係性が構築できている顧客に丁寧にお願いすることから始めました。
- 社内関係部署との対話と共通認識の醸成: 営業、開発、マーケティング、そして既存事業部のリーダーなど、関係するすべての部署と定期的なミーティングを設定しました。顧客からの生の声や分析結果を共有し、「このままではサービスは浸透しない」「しかし、このフィードバックには改善の糸口がある」と粘り強く伝えました。特に既存事業部に対しては、SaaSが既存顧客の満足度向上に繋がり得る可能性や、将来的なビジネスへの貢献について、具体的な事例(たとえ小さなものでも)を提示しながら理解を求めました。
- 迅速な軌道修正と優先順位付け: 分析結果に基づき、サービスの課題を明確に定義しました。すべてのフィードバックに応えることはリソース的に不可能であり、またサービスの核をぶれさせる可能性もあるため、サービスのビジョンを再確認しつつ、顧客の「期待と違う」という声の中でも、特にクリティカルな課題と、解決することで最も多くのユーザーに価値を提供できる改善点に優先順位をつけました。そして、開発チームと密に連携し、スピーディーな機能改善とUI/UXの修正サイクルを確立しました。
- 顧客との継続的なコミュニケーション: サービスを一方的に改善するだけでなく、フィードバックをくれた顧客に対して、改善の方向性や進捗を積極的に共有しました。「あなたの声を聞いて、サービスはこう変わろうとしている」というメッセージを伝えることで、顧客の不満を解消するだけでなく、共創パートナーとしての関係性を築くことを目指しました。これにより、一部の顧客からは改善に向けた前向きな協力や、新しい視点でのフィードバックも得られるようになりました。
- 小さな成功事例の積み重ねと社内への発信: 改善したサービスを再評価してもらった顧客からの肯定的なフィードバックや、実際にサービスを活用し始めた顧客の小さな成功事例を丁寧に収集し、社内、特に既存事業部や経営層に対して積極的に発信しました。これにより、「やっぱりダメだった」という社内の雰囲気を少しずつ変え、「改善すれば可能性がある」という認識を広げることができました。
成果とそこから得られた学び
これらの地道な活動の結果、サービスの「期待と違う」という初期評価は徐々に変化していきました。改善された操作性や機能が評価され始め、新たな顧客層からの関心も高まりました。既存事業部も、SaaSが新しい顧客層へのアプローチや、既存顧客へのアップセル・クロスセルの可能性を秘めていることに気づき始め、協力的な姿勢を見せるようになりました。最終的には、限定的な市場投入から本格展開へと漕ぎ着けることができました。
この軌跡から得られた最も重要な学びは、以下の点です。
- 顧客の「期待と違う」は、必ずしもサービスの失敗を意味しない: それは、多くの場合、顧客の具体的なニーズやコンテキストに対する理解が不足していたり、コミュニケーションに課題があったりするサインです。批判的な声の中にも、サービスの方向性を修正し、より市場に適合させるための貴重なヒントが隠されています。
- フィードバック収集・分析の仕組みの重要性: 市場投入後の顧客の生の声は、サービスを改善するための最も重要な情報源です。体系的にフィードバックを収集・分析し、迅速に改善へと繋げるプロセスを構築しておくことが不可欠です。
- 関係部署との粘り強い対話: 新しいサービスは、既存の組織構造や考え方に摩擦を生じさせがちです。特に、顧客からのネガティブな声は社内の抵抗勢力に「やはり見込み通りだ」という口実を与えかねません。こうした状況を乗り越えるためには、関係部署と事実に基づいた対話を重ね、共通の危機感を持ち、そして小さな成功事例を共有することで前向きな変化への機運を醸成する粘り強さが求められます。
- 迅速な軌道修正を可能にする柔軟性: 事前の計画通りに進まないことを前提に、市場からのフィードバックを受けて迅速に戦略やプロダクトを修正できる組織的・プロセス的柔軟性が新規事業の成功には不可欠です。完璧を目指しすぎず、必要であれば大胆な方向転換も厭わない覚悟が必要です。
まとめ
新規事業やサービスの市場投入は、まさに挑戦の連続です。特に、顧客からの「期待と違う」という声は、プロジェクトの中止に繋がりかねない大きな壁となり得ます。しかし、その声に真摯に耳を傾け、批判の中に隠された本質を見抜く洞察力、社内外の関係者を巻き込み粘り強く対話し続けるコミュニケーション能力、そして迅速な軌道修正を可能にする柔軟性があれば、その壁を乗り越え、サービスを真に市場に適合させることが可能になります。
この経験は、困難な状況下であっても、顧客の声と向き合い、組織を動かし、サービスを成長させていくことの重要性を示しています。計画通りにいかない市場の現実を受け入れ、柔軟に対応していくプロセスそのものが、新規事業を成功へと導く鍵となるのです。