挑戦者のアイデア軌跡

『「うちの目標とは違う」の声にどう向き合うか:部門最適の壁を越え、全社横断プロジェクトを推進した軌跡』

Tags: 部門最適, 組織の壁, プロジェクト推進, 関係者調整, 組織変革, 対話, 共感

組織という環境で、なぜアイデアは停滞するのか

新しいアイデアや事業を推進しようとする際、組織という環境は独特の壁をもたらします。特に、長年培われてきた部門ごとの文化や目標、そしてそれに基づく「部門最適」の考え方は、全社的な視点での変革や横断プロジェクトにとって、時に大きな障壁となり得ます。各部門がそれぞれの目標達成を最優先するあまり、「それはうちの仕事ではない」「うちのリソースは他のことで手一杯だ」「なぜ、その情報や協力を他部門に提供する必要があるのか」といった声が上がり、必要な連携が滞るのです。

本記事では、このような部門最適の壁に直面しながらも、粘り強い対話と戦略的なアプローチによって全社横断プロジェクトを成功に導いた、ある挑戦者の軌跡を追います。困難を乗り越える過程で見えてきた、組織を動かす上での本質的な学びを探ります。

プロジェクトの背景と目的:断片化された組織が生む課題

インタビューに応じたA氏(仮名)は、大手メーカーの新規事業開発部門で、顧客体験全体の向上を目指すデジタル変革プロジェクトのリーダーを務めていました。当時、同社は各部門が個別にデジタル化を進めていましたが、顧客から見ると、営業、マーケティング、カスタマーサポート、製品開発、物流といった各接点での体験が分断されており、一貫性がありませんでした。

「顧客は部門ごとの縦割りなど知りません。彼らにとって重要なのは、企業全体としてどれだけスムーズで価値ある体験を提供できるかです」とA氏は語ります。この状況を打開し、全社で共通の顧客データ基盤を構築し、データに基づいた顧客体験設計とサービス提供を実現することが、このプロジェクトの目的でした。それは、単なるシステム導入ではなく、全社的な業務プロセスと組織文化の変革を伴う、壮大な試みでした。

直面した具体的な困難:「うちの目標とは違う」という声

このプロジェクトが立ち上がった当初から、部門最適の壁は明らかでした。

最も頻繁に聞かれたのは、「それはうちの目標とは違う」「このプロジェクトは、私たちの部門の評価にどう貢献するのか」という声でした。各部門は、既存事業の売上目標やコスト削減目標といった、明確な個別目標にコミットしており、全社的な顧客体験向上という、やや抽象的で長期的な目標への優先順位が低い傾向にありました。

また、プロジェクトに必要なリソースの確保も困難でした。例えば、顧客データを一元化するためには、各部門が個別に管理しているデータを連携させる必要がありましたが、データを提供する部門からは「データ移行や連携作業にかかる工数を誰が負担するのか」「データガバナンスはどうなるのか」といった懸念と共に、消極的な姿勢が見られました。「今抱えている既存業務で手一杯で、新規プロジェクトに割くリソースはない」という物理的なリソース不足も深刻でした。

さらに、部門を跨いだ意思決定プロセスは非常に複雑でした。小さな変更一つでも、複数の部門長の承認が必要となり、意見の対立が生じるたびに調整に時間を要しました。法務部門や情報システム部門といった間接部門との連携にも時間がかかり、プロジェクトのスピードは思うように上がりませんでした。部門間での情報共有も限定的で、必要な情報が適切なタイミングで手に入らないことも多々ありました。

「組織全体で同じ方向を向いているつもりでも、現場レベルではそれぞれの部門の個別目標が優先される。これは、意図的な抵抗というよりは、構造的な問題、長年の慣習から来る壁だと感じました」とA氏は当時を振り返ります。

困難克服への道のり:対話と「共通の敵」の設定

このような複合的な壁に対して、A氏はまず、性急な技術導入ではなく、関係者との「対話」に徹底的に時間をかけることから始めました。

最初のステップは、「共通の敵」を設定することでした。A氏は、「部門最適の結果、分断された顧客体験が、長期的に企業の競争力を低下させる」という危機感を、データや市場調査の結果を用いて、各部門の関係者に丁寧に伝えました。「私たちの共通の敵は、競合他社ではなく、『顧客体験の分断』そのものです。このままでは、いずれ全ての部門が悪影響を受けます」と訴えることで、最初は懐疑的だった部門関係者の中に、「自分たちの問題でもある」という認識を醸成していきました。

次に重要だったのは、プロジェクトが各部門にもたらす具体的な「メリット」を明確に示すことです。「データ一元化によって、各部門の業務効率がどう向上するか」「顧客満足度向上が、各部門の個別目標達成にどう繋がるか」といった点を、部門ごとにカスタマイズして説明しました。例えば、マーケティング部門には「より精緻な顧客セグメンテーションによる販促効果向上」、カスタマーサポート部門には「顧客情報の即時把握による対応時間短縮」といった具体的なメリットを提示しました。これにより、「うちの目標とは違う」という抵抗感を和らげ、「自分たちの目標達成を助けるプロジェクトかもしれない」という協力への糸口を作りました。

リソースの壁に対しては、まずスモールスタートで成功事例を作ることに注力しました。協力的な一部門と連携して小さなパイロットプロジェクトを実施し、その成果を社内外に広く発信しました。これにより、「このプロジェクトは確かに効果がある」という共通認識を生み出し、他の部門からの協力を得るための説得材料としました。また、プロジェクト専任のコアメンバーを少数精鋭で設置し、意思決定権限を明確にすることで、スピード感を維持しました。必要なデータ連携やシステム改修については、各部門の担当者と共同でタスクフォースを組み、「一緒に作り上げる」という意識を醸成しました。

意思決定プロセスについては、プロジェクト開始前に主要な関係部門長を集めた定例会議体を設置し、重要な意思決定はその場で速やかに行うルールを設けました。また、プロジェクトの進捗状況や課題、そして各部門からの協力依頼内容を全関係者にオープンに共有する仕組みを導入することで、透明性を高め、不要な疑念や情報のサイロ化を防ぎました。

「最も大変だったのは、一度築かれた部門間の壁や不信感を解消することでした。そのため、技術的な課題解決よりも、人間関係の構築や、地道な対話、そして小さな成功を積み重ねて信頼を築くことに、最も時間を費やしました」とA氏は語ります。

成果とそこから得られた学び

これらの努力の結果、プロジェクトは徐々に前進しました。最初は消極的だった部門からも徐々に協力が得られるようになり、共通顧客データ基盤の構築が進み、部門を跨いだ顧客対応連携が実現し始めました。顧客からのフィードバックも改善傾向を示し、プロジェクトの社内での評価も高まっていきました。

この軌跡から得られた最も重要な学びは、「組織を動かす鍵は、論理だけではなく、感情と共感である」という点だとA氏は強調します。新規事業や変革プロジェクトの必要性を論理的に説明するだけでは不十分で、関係者一人ひとりが「なぜこれをやる必要があるのか」「自分事としてどう関わるべきか」「協力することでどんな良いことがあるのか」を納得し、共感することが不可欠です。

また、「共通の敵や共通の目標」を設定することの強力さ。そして、「小さく始めて成功を見せること」が、組織の保守性や抵抗感を和らげる上で非常に有効であることも学びとなりました。複雑な組織構造の中では、「誰と話すか」「どう話すか」「何をいつ共有するか」といった、きめ細やかなコミュニケーション戦略が、技術や資金以上にプロジェクト推進の成否を分ける要素になり得るのです。

まとめ

部門最適という壁は、多くの大手企業で新規事業やイノベーションを阻む共通の課題です。しかし、この壁は不変のものではありません。

本記事で紹介したA氏の軌跡は、この困難な壁を乗り越えるためには、単なる指示命令ではなく、関係者との粘り強い対話を通じて共通の危機意識と目標を醸成し、プロジェクトが各部門にもたらすメリットを具体的に示し、小さな成功を積み重ねて信頼を築くといった、地道かつ戦略的なアプローチが不可欠であることを示唆しています。

組織における新規プロジェクト推進は、しばしば「論理的な正しさ」と「組織の現実」との間の摩擦の中で進行します。この摩擦を乗り越え、アイデアを実現へと導くためには、関係者の立場や感情を理解し、丁寧に歩み寄る姿勢が、何よりも重要だと言えるでしょう。